いつから作られていたの?
いつから作られていたの?

社会的

社会的な納豆の立ち位置

江戸時代(1603~)以前、納豆は買うものではなく、自分の家で作るのが当たり前の食べ物でした。時を経ると、多くの地方ではその流れを維持しつつ、一方で江戸のような都会では「納豆は納豆売りから買うもの」という認識に変わっていきます。
納豆売りは、桶やザルに入れた納豆をかついで歩き、ひしゃくですくって売るスタイルで江戸の朝の風物詩になっていきます。

それまで納豆は、汁に入れて食べるのが主流でしたが、炊き立てごはんにかけて食べる、納豆オンザライスが定着してきたのも江戸時代後期といわれています。

できたての納豆は、さぞつややかに美味しそうに見えたことでしょう。汁に入れるのはもったいない、炊き立てごはんにかけたらうまいにちがいない! 江戸っ子がそう思ったかどうかは記録にないのでわかりませんが、どうでしょう。

自家製から買うものへ、汁の具からおかずへ。
納豆の社会的な転換は、江戸時代に始まっていたのです。

明治前期(1800年後半)

江戸時代に始まった納豆売りのスタイル~桶やザルに入れた納豆をひしゃくですくって売る~は、明治時代に入ると少しずつ廃れていきます。

理由は、販売スタイルの主流が、わらつとにとってかわられたからです。
明治時代に発行された教本には、わらつと納豆を売る少女と桶で納豆を売る老婆が、かち合ってしまったエピソードがつづられています。

明治期(1900年前半)

明治38年、のちに納豆製造に革命をもたらす発見を東京大学の沢村真農学教授が成し遂げます。納豆菌の発見です。納豆から納豆菌を抽出し、バチルス属の一種であることを突きとめます。

さらに明治45年、今度はその納豆菌から良質な株だけを分離し、集める技術を盛岡高等農林学校の松村舜祐農学博士が開発します。分離した優良株を利用した納豆を校内で売り出し、好評となったそうです。

大正・昭和初期

大正8年、北海道大学の半沢洵農学博士が、わらつとにかわる改良容器の開発と、純粋培養菌による新製法を提唱します。近代納豆の製造技術がここでほぼ完成したといっても過言ではありません。

販売のほうのトピックにもひとつ目を向けてみましょう。
茨城県の水戸駅前で、明治時代からみやげものとして納豆を販売していた製造業者が、駅舎が完成すると同時に上りホームに納豆売り場を設けます。これが大当たり。大ヒット。

日本三大庭園のひとつ、偕楽園帰りの観光客に大層喜ばれ、水戸といえば納豆のイメージが定着します。もちろん、この地で育つ極小小粒の大豆が美味であることは、水戸納豆が成功したことと無関係ではありません。

昭和11年ごろの話です。

戻るボタン