納豆の文化
納豆文化は日本以外にあるよ、と聞くと不思議なような少しがっかりしたような、なんともいえない気持ちになりますが、アジアでの納豆の立ち位置は日本とは少しちがいます。今の日本では、納豆はおもに「おかず」ですが、日本以外の地域では、ほとんどが「納豆はうまみ出汁調味料兼、具材」なのです。日本と同じく米に載せる「おかず」地域は、研究者のフィールドワーク調査によると、わずか2か所だけとのこと。『納豆の食文化誌』(農文協刊)。しかも、できあがった納豆を搗いて塩を混ぜてペースト状にしたり、干したりと二次加工することがほとんどです。
日本でもそもそも納豆は汁に入れて食べるものでした。うまみのある出汁であり具でもあったわけです。納豆汁こそが日本の納豆料理の元祖の可能性があります。また、東北地方には、できあがった納豆に塩などを混ぜて二次加工する食べ方も伝わっています。だとすると、納豆の現在地、アジアではうまみ出汁調味料、日本ではおかずという違いは、何が分岐点だったのでしょう。研究者は“米麹”に手がかりを見出しています。
米麹という文化が育っていた日本では、うまみのある出汁調味料には優れたものがほかにあったことに加えて、納豆の粘り気ともちもちした日本米の食感との相性がすばらしかったことなどが、“納豆はおかず”という新たな潮流を生んだのかもしれません。
納豆はご当地発酵食品なんです
納豆は日本独自の食べものではない、アジアにも納豆はあるといいました。
そのことについて、もう少し説明させてください。
日本の納豆は、枯草菌に属する納豆菌(バチルス・サブチリスBacills subtiris(natto))で大豆を発酵させた食べ物です。現代の日本では、純粋培養した納豆菌を用いることがほとんどですので、うっかり別の菌が働くことはなく、糸引きのしっかりとした納豆になります。
一方、アジアの納豆は、すべてが糸を引くわけではありません。香りは明らかに懐かしい納豆そのものであっても、糸を引かないアジアの納豆のほうが多いようです。
それは、発酵を担う枯草菌が必ずしもバチルス・サブチリスBacills subtiris(natto)ではないからです。
韓国のチョングッチャンを除き、アジアの納豆は、シダやバナナ、イチヂクといった葉についた枯草菌を利用して発酵させます。植物の種類により多数派の枯草菌が異なるため、用いる葉は民族ごとにたいてい決まっているとのこと。それぞれごひいきの枯草菌があるわけです。
ちなみにチョングッチャンは、日本と同じく純粋培養した納豆菌を用いて作られます。
世界の発酵食品とのちがい
世界にあまたある発酵食品の中で、納豆の特別なところはどこか。
納豆の個性は、なんといっても、その粘性です。納豆のように糸がのびる発酵食品はほかにないかもしれません。チーズものびる食品ですが、納豆の糸引きとは、やはりのび方の質がちがいます。
美と健康が期待できる成分がたっぷりの糸は、納豆の象徴といえるでしょう。
また、短期間で完成する点も、納豆がほかの発酵食品と少しちがうところです。
基本的に、発酵食品は微生物の力に任せて保存性を高めた食品なので、完成までに長い期間がかかることがほとんどです。
発酵後の熟成期間も含めると、チーズやワインなどには完成までに数年単位のものも珍しくありません。
その点、納豆は、発酵期間は丸一日程度、熟成させても数日と、驚くほどスピーディー。
しかし、その主原料である乾燥大豆は、数年単位の長期保存が可能です。
納豆は、長期間の保存が可能な原料を短期間で醸し、発酵パワーを蓄えた食品なのです。
世界の発酵食品
パン、ワイン、ビールにチーズ。世界の食卓にのぼる発酵食品を数え上げたらきりがありません。それほどに、世界中では多様な発酵食品が数多く生まれ、世界中に広まり、私たちの食生活を潤しています。気候風土や生態系にあわせて、もっといえば微生物の都合にあわせて、その土地ならではの伝統的な発酵食品文化ははぐくまれてきました。
たとえは、雨が少なく乾燥した気候のヨーロッパでは、アジアに比べてカビを利用した発酵食品は少ない傾向です。カビは湿度が大好きですから。
世界には、チョコレートのように、いっけんそうは思えなくても、製造の過程で発酵を経ているものもあれば、強烈な香りや見た目で圧倒する発酵食品もあります。納豆は、世界の人々にどのように映るのでしょうか。
発酵食品は知れば知るほど奥が深いだけでなく、幅も高さも壮大な世界観があります。
微生物というミクロの世界が、世界規模のマクロな世界をつくる事実は、なんだか不思議な気がします。
世界の発酵食品/チーズ・ヨーグルト
ウシやヤギといった家畜のお乳から乳製品を作る文化は、家畜と一緒に移動しながら旅をする遊牧民によって生まれたとされています。よく語られる中近東の民話に、「アラブの商人が羊の胃袋でつくった水筒にヤギのお乳を入れて旅に出たところ、いつのまにか水分と白い塊、つまりチーズに分離していた」というものがあります。事実、チーズは中近東からヨーロッパへ、製法が伝播していきました。
『発酵のきほん』(誠文堂新光社刊)
チーズは世界中で最も多い発酵食品のひとつで、バリエーションは1000種を超えるといわれています。種類は多くも、お乳をチーズにする原理は同じで、加熱殺菌したお乳に乳酸菌と酵素を加え、固形分と水分に分離させたあと、固形分を乳酸菌で発酵させる、といったものです。
発酵を担う乳酸菌は、納豆と同じく細菌の一種ですが、同時にカビの力も用いて、うまみと奥行きをもたせたチーズもあります。ブルーチーズ、カマンベールチーズなどがカビを利用するチーズの代表です。
ザワークラウト
ドイツの伝統発酵食品・ザワークラウトは、千切りキャベツを塩漬けにし、乳酸発酵させたものです。すっぱいキャベツの漬物といえばイメージがわくでしょうか。古代ローマではすでに食べられていたという記録がある歴史ある発酵食品です。
ザワークラウトの発酵は、乳酸菌を加えるのではなく、そもそもキャベツの葉にいる乳酸菌を用いて行います。乳酸菌は塩分に強いため、塩にはそのほかの雑菌を抑える役割もあります。ザワークラウトのすっぱさの素は、乳酸菌が生み出す乳酸です。
発酵によるまろやかな風味とすっぱさが魅力のザワークラウトは、脂の多い肉料理に添えて食べるのがおすすめです。
トゥアナオ
タイ北部の山岳地帯やラオス北部、ミャンマー少数民族・シャン族など、おもに中国南西部にルーツがある民族や地域では、納豆をトゥアナオとよんでいます。現地の言葉でトゥアは豆、ナオは腐っている状態を示すそうです。
作り方は、日本の納豆と同じくシンプルです。洗った大豆を8時間ほどゆでて、イチジクのような大きな葉をしいた竹籠に煮豆を入れて発酵させます。日本の納豆とちがうのは、葉についた枯草菌による発酵が済んだあとの二次加工です。搗きながら塩やスパイスを混ぜて、粗いペーストにします。現代では、トゥアナオは家庭でつくるものではなく、市場で購入するもの、という認識だそう。日本の味噌と同じです。
ペーストのトゥアナオをひき肉と唐辛子とで炒め、米のスープ麺にからめると、絶品のうまみが魅力の郷土料理「カオ・ソーイ」のできあがり。ほかにもペーストを平たくのばし、せんべい状にして干したものは保存性抜群のトゥアナオもあります。炒めたり揚げたりと、万能に使えます。
テンペ
無塩大豆発酵食品の仲間に、テンペがあります。インドネシアで400~500年前から食べられてきたもので、日本でも知名度があがってきました。特に菜食生活を送る人にとっては肉にかわる大事なたんぱく源として重宝な食品です。
テンペはクモノスカビを用いて発酵させます。クモノスカビはテンペ菌ともよばれるカビの一種で、カマンベールチーズに似たふわふわの白い菌糸を張り巡らします。かつてはオオハマボウなどの葉にいるクモノスカビを利用していましたが、現代では、純粋培養したテンペ菌やラギとよばれる混合菌スターターが用いられています。
酢水で浸漬した大豆を、こすり合わせるようにしながら皮を取り除きます。酢水で酸性にすることにより、納豆菌などほかの菌の活動を抑え、また、皮をむくことでテンペ菌が内部にまで入れるようにします。皮をむいた大豆を蒸煮し、人肌程度に冷ましたところにテンペ菌をつけ、発酵を促します。およそ24時間でふわふわの菌糸に包まれたテンペができあがります。
本場インドネシアでは、スライスしたテンペを揚げて軽く塩をしたものが人気だそう。
納豆と日本人との出会い
古い記述に残る文字を、歴史の出発点とすると、納豆のはじまりは1450年ごろ(室町時代)に記された『精進魚類物語』だとされています。それよりも200年ほど前に綴られた『平家物語』を精進もの(植物性の食べ物)v.s.なまぐさもの(動物性の食べ物)に置きかえたパロディー作品です。
物語の中で、精進軍を率いる総大将の名を「納豆太郎糸重」といい、姿の描写からも糸引き納豆であること明らかです。『精進魚類物語』は、江戸時代にも子ども向けの読み物に再編されていることからも、魅力的な物語であることがわかります。
納豆発祥の説は、『新猿楽記』(平安時代中期)、または『御湯殿上日記』(1477年)などほかにもありますが、ここでははっきりと糸引き納豆であることが分かる『精進魚類物語』を紹介しました。
室町は、近代食文化が幕開けした時代といわれています。和食の形式、食べ方の基礎は、多くが室町時代に構築されたからです。十分なゆとりをもって遅く見積もっても、日本人は、室町時代に納豆と出会っていた、この点は間違いなさそうです。
『納豆沿革誌』
稲作文化が根付いたとき
納豆の歴史は、日本の食文化の発展史ともいえます。なぜなら、大豆と米こそが日本の食文化の源流だからです。
水田稲作は、紀元前3000年ごろに中国から朝鮮半島を経て九州に伝わり、およそ600年をかけて本州北端まで広がり、根付いていったものと考えられています。大豆栽培もまた、稲作文化と歩みをともにしたかもしれません。
また、時代をさかのぼること2000年と数百年、古代の人々は、大豆と米を含めた五穀を生み出す大地のエネルギーを神秘的なものと捉えていました。神秘のエネルギーを吸って大豆が育ち、稲が育ち、その大豆に糸を引かせる稲の力を目の当たりにし……。古代の人々が納豆という食べ物に不思議なパワーと神秘性を見出したとしたら、それもまた当然のことといえるでしょう。あくまで想像ですがイマジネーションがかきたてられます。
伝説×納豆の親和性
歴史上の偉人と納豆。意外な組み合わせかもしれませんが、納豆の発祥にまつわる言い伝えには、ありがたいものや、偉人が登場するものがいくつもあります。
北国に伝わる伝説では「ある朝、神棚に煮豆を供えると、しめ縄の端が煮豆につき、気づけば煮豆から糸が引いていた。不思議に思った人々がこの糸をつまんでみたら、とろりとして口に含むとかすかな甘みが広がり、『これはよいものを神様から頂戴した』と喜ぶ。人々はうやうやしく頂戴し、神様に納める豆との意味を込めて“納豆”と名付け、くり返し作るようになった……。」といった具合です。
また、勇ましい武将が登場する合戦にからめた納豆誕生の伝説も数多くあります。
好きな人にはたまらない納豆の香りや糸引きを敬遠する人は、昔もいたことでしょう。
あくまで推測ですが、ありがたいものや偉人にあやかることで、納豆をよきものとして扱いたい、言い伝えにはそんな願いが込められている気がします。
聖徳太子の笑堂納豆
納豆誕生の言い伝えの中から、聖徳太子が登場するバージョンを紹介します。
~時は飛鳥時代(600年頃)、現在の滋賀県愛知郡湖東町で仏像を完成させた聖徳太子が、帰る道すがら“笑堂”という地で愛馬を休め、煮豆を与えた。食べ残した煮豆は、わらでつとをつくり、そこに詰めて木の枝にかけておいたところ、煮豆が飴色に変化し、糸を引き、塩をつけると大層うまいものに変わっていた。村人は喜び、聖徳太子にその作り方を請い、以後、村ぐるみで作るようになった。~
源義家説の納豆ロード
偉人が登場する納豆発祥伝説のうち、平安時代後期の武将“八幡太郎義家”こと、源義家が主人公のものを紹介します。義家の武勇伝と納豆誕生はよほど親和性が高いのか、あるいは物語の中に一筋の真実が隠れているのか、さまざまなパターンが語り継がれてきました。『納豆沿革誌』によると、前九年の役(1051年)、後三年の役(1083年)にちなんだ言い伝えが数々あるようです。
その1
父・頼義とともに平泉(岩手県)付近に布陣した義家軍が、馬のえさである大豆を煮ているところに敵の夜襲を受ける。急いで煮豆を俵につめて馬にくくり、応戦ののちに俵を開けると、煮豆は納豆になっていた。
その2
岩手山(宮城県)にて、義家が源氏の氏神である八幡神社を詣でた際、土地の人に納豆を出され、その美味に感服し、ほかの土地に広めていった。
その3
義家軍に敗れ、捕虜となった安部宗任が九州の大宰府に流される。教養に富んだ宗任は土地の人に慕われ、故郷の奥州文化を広めている。そのひとつに納豆があったため、九州には干し納豆「コルマメ」が伝わる。
その4
義家軍が常陸(茨城県)にて宿営したときのこと。わらの上で変色した食べ残しの煮豆を見た義家が「もったいない。なんとか食べられぬものか…」と口に含むと、粘りがあってうまかった。以後、陣中の保存食にと作り方を研究し、製造法を確立させた。
その5
奥州征伐に向かう道中、大田原(栃木県)にさしかかったあたりで俵の中で煮豆が糸を引いていることを発見した義家は、わらと煮豆との因果関係をつきとめ、製造法を確立した。
その6
仙北郡(秋田県)、飢えと寒さに過酷を極めた戦にて。馬のえさを緊急に供出するよう命じられた現地の農夫が、まだ熱い煮豆を慌ててカマスに詰めて納めたところ、小屋に重ねておくうちに豆に粘りが出て変色していた。恐る恐る義家の膳に上げてみると、義家は何度か舌を鳴らしてうなずき、「なんと美味なる豆……」と感嘆し、将兵一同にもすすめたという。
その7
京都から仙北郡へ出兵した兵士たちが、義家のもとで反乱軍を制圧したのち故郷に帰り、現地で習得した納豆作りを村に広めた。これが京都に伝わる郷土納豆のルーツとなった。
納豆オンザライスで食べられています
全国納豆連合協同組合は、定期的に国内で行う「納豆に関する調査」で、全国の成人2000人に納豆の食べ方を聞いています。第1位は、何だと思いますか。
2021年の最新調査報告によると、ダントツの第1位は「ごはんにかけて食べる」でした。
「ごはんにかけて食べることがほとんど」48.5%
+
「ごはんにかけて食べることが多い」16.0%
=
あわせて64.6%
食べる前の所作について、納豆好きにはだれしも一過言あるところも納豆オンザライスがいかに日本で愛されているかの証でしょう。
よく混ぜる派v.s.混ぜない派、しょうゆ派v.s.タレ派v.s.その他派、調味料を混ぜるタイミング……。そんな話で盛り上がる場面は、いわゆる“納豆あるある”です。
くるくるとよくかき混ぜた納豆を、炊き立ての白いごはんにとろりとかける至福の瞬間。大きな口をあけて、はふはふとかきこむときの鼻に抜ける香ばしさ。そんな幸せが世界の人々とシェアできたらいいですね。